「家電のことでお困りのことがあったら、なんでもお聞きください」というスタンスで、「家電+ライフスタイルプロデューサー」として活躍中の神原サリーさん。お仕事が忙しいところへ、1年前からは高齢のお父様の生活サポートも加わり、まさに目の回るような日々を過ごしていらっしゃるそう。
この連載では、そんな神原さんの介護生活についてうかがっています。大けがを経て、新たな生活をスタートさせたお父様。周りから見れば「十分な回復ぶり」でも、当人はどうしても「以前とは違う」というもどかしさを感じてしまう。生きている限り誰にでも、確実に訪れる状況なだけに、ついつい引き込まれてしまいます。
神原サリー(かみはらさりー)
家電+ライフスタイルプロデューサー。新聞社勤務、フリーランスライターを経て現在に至る。「企業の思いを生活者に伝え、生活者の願いを企業に伝える」べく、家電分野を中心に執筆や商品企画、コンサルティングなど幅広く活躍。豊富な知識と取材経験を基に家電の賢い選び方・使い方を発信しており、テレビ、ラジオ、雑誌、新聞等のメディアへの出演、記事掲載も多数。一般社団法人日本睡眠改善協議会認定・睡眠改善インストラクター。東京・広尾に事務所兼「家電アトリエ」をもつ。ブログ『Sallyの家電アトリエ』http://kaden.k-sally.jp/
お父様が頑張っている一方で、リハビリ病院退院後の生活スタイルは決まりそうでしたか?
父がいちばん望んでいたのは「リフォームした実家でもう一度暮らすこと」でした。私も最初はそうしようと考えていたのですが、海外で暮らす弟と話をするうち、「父も89歳になるし、大けがをした後でまた一人暮らしさせるのは心配だ」という結論になって。
そんなときに「高齢者向けサポート付き住宅」の存在を知ったんです。軽度の介護状態までのシニアが入居できる、バリアフリーで看護師などのスタッフが常駐している賃貸住宅のことです。デイサービスやデイケアセンターが併設されているところも多く、入居者が通えたり、近隣から通う方とも交流できたりという。
基本的な仕組みは賃貸住宅と同じで、桁違いの入居費がかかるわけでもない。そんな高齢者向けサポート住宅が、実家から徒歩3分のところにあったんです。同じ町内の慣れ親しんだ土地だし、周りには知っている人たちもいっぱいいるし、空き室も出そうということで、父も納得してそこに入居することにしました。
「軽度の介護状態まで」との条件はクリアできそうでしたか?
父はすごくやる気をもって、リハビリに取り組んでいたんです。身体の機能回復のためのリハビリはもちろん、リハビリ後はアスリートのようにマッサージしてもらったり、脳の活性化メニューを受けたり。ほぼマンツーマンで手厚くみてもらったこともあり、一時は「奇跡的」といわれるぐらいの回復を見せたんです。
それこそ、介護保険の認定時は7段階のうち上から2番目の「ほぼ寝たきり」レベルだったのが、リハビリ病院の退院前には階段も手すりなしで上れるぐらいにまでなって。今から思えば、あの頃の回復度合いが絶頂期だったんですけどね。
条件をクリアして、無事にサポート住宅に入居できたんですね。
ええ。でも、入居した後は、決まったリハビリメニューをこなす習慣もなくなり、ごはんやお風呂のとき以外はポツンとひとりで部屋にいる状態になってしまって。そもそもリハビリ病院では、理学療法士をはじめとするスタッフのみなさんや、入院している方、みんなと仲良くなっていたんです。
なので、入居後はよく「あそこに戻りたい。それが無理なら、毎日リハビリに通うだけでも。そうすれば、元気になれるから」と言っていました。ただ、病院でリハビリを受けられる期間は決まってましたし……。デイサービスでは簡単なレクリエーションなども行っているんですが、入居当時の父は「あんなお遊戯みたいなの」といって、加わろうとしませんでした。
「頑張りがいがない」ということなのでしょうか。
そういう部分もあるんでしょうかね。ただ、動かないと、次第に身体の機能も衰えてしまいますよね。入居後は一度転んで救急車を呼んだこともありますし、外傷だけでなく発熱や湿疹、そのほか内部疾患の面でもいろいろありました。
また、一時は手すりなしで階段を上れるまでに回復しただけに、「やればできる」とサポートする人もいない状態で頑張りすぎて、足首に負担がかかって痛くて歩けなくなってしまったり(苦笑)。あとは、年をとると握力がなくなって、立ち上がるときに何かに捕まるのではなく、手の甲を支えにしてしまうんです。それで、手の甲がすごく腫れてしまったこともありましたね。
「家に帰りたい」と口にしたりはしませんか?
「いつまでここにいるんだろう?」とは言いますね。「いつになったら、ここから出してもらえるのかな?」って。父は、ここが終の棲家になるとは思ってないみたいで……。
「ボランティアに戻る」という目標は?
そこの部分に対しては気力が萎えてしまったみたいで、口にしなくなりましたね。また、父はけがをするまでは車を運転してボランティア先を回ったり、友だちを買い物に連れて行ったりしていたんです。リハビリ中もよく「帰ったら車を運転しないと」と言っていたのですが、車のことも言わなくなってしまいました。
とはいえ最近では、デイサービスのレクリエーションにも通うようになったし、サポート住宅の共有スペースで行われる体操や歌にも参加するようになってきたようですが。
前向きすぎるほどの姿を知っている娘のサリーさんからすれば、寂しいことでしょうね。
もう89歳になったので、のんびり過ごしても少しもおかしくない年齢だし、当たり前かもしれないですが、やっぱり「生きがいみたいなものが見つかるといいかな」とは思いますよね。(Vol.3に続く)
文:細井秀美