イングランドで2015年に開催されたラグビーW杯の初戦で、強豪・南アフリカを相手に逆転トライを決め、“世紀の番狂わせ”と絶賛されたラグビー日本代表。その陰の立役者として注目を浴びることになったのが、日本代表のメンタルコーチを務めた荒木香織さん。
選手ひとりひとりと話し合いながら、個々のメンタルを鍛えていった経験を元にまとめた『ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」』(講談社+α新書)の著者でもある荒木さんに、アスリートではない一般の人でも、普段の生活リズムを整えるためのヒントになるメンタルスキルの話をお伺いしてきました。
最終回となる今回は、「生活リズムを良くするためのメンタルスキル」です。
——これまでに、日常のなかで役立つメンタルスキルについてお聞きしてきましたが、最後に、日々の生活リズムを整えるためのメンタルスキルについてお聞かせください。
生活リズムを整えるスキルですか……、それ、私が知りたいくらいです(笑)。
誰でも、日々、生活していると、しんどいことはたくさんありますよね。ですから、あまり頑張り過ぎないように、常に自分が“今日できたこと”を確認しながら、過ごしていくようにすると、自然と生活のリズムは良くなっていくのではないでしょうか。
「ああ、コレできた!次はコレしよう」とか、「これはOK、これもOK!」といった感じで、いつも自分ができたことを確認しているうちに、ポジティブな流れができてくるものです。
逆に、「ああ、コレやらないといけないし、アレもやらないと!」などと過ごしていると、どんどんネガティブなマインドになってしまいます。もちろん、生活のリズムもネガティブなスパイラルに陥って乱れてしまいますよね。
私は、毎日、仕事が終わった後に息子を保育園までクルマで迎えに行くのですが、仕事でバタバタになった日は「ああ、お迎えに間に合わないかも!」となりがちです。
しかし、そうではなく、「よし、今日も頑張った!」と確認してからクルマに乗り込んで運転するほうが、事故を起こす確率は低くなりますよね(笑)。
「これだと間に合わない!」と慌てたり焦ったりすると、事故を起こす可能性も高くなりますし、せっかく、その日一日仕事も頑張ったのに、生活のリズムが台無しになってしまいます。
そうではなく、ポジティブにできたことを確認したら、次に行くときに気持ちも切り替えることも重要です。
たとえ、やらなければいけないタスクがたくさん残ってしまったとしても、タスクの切れ目を見つけて、それをうまく利用する。思っていた通りにタスクを片づけられなくても、仕事部屋のカギを締める瞬間などに「よし、終わった!次に行こう!!」といった感じで、切り替えをするのです。
そうやって次に行くようにすると、生活リズムを乱すことなく、キープできるようになるのではないかと思います。
——気分転換に良い方法などはありますか?
理論的には、有酸素運動が有効だとよくいわれますよね。水泳やウォーキングなどがありますが、仕事で忙しい人だと、そのために時間を取るのはなかなか難しい。私も、仕事に加えて子育てもありますから、有酸素運動をする時間が取れません。
そこで、私がオススメしたいのは、深呼吸です。生きていれば必ず呼吸はするものですから、いつでもどこでもできるのがいいですよね(笑)。
しかも、この深呼吸、実は、立派なメンタルスキルのひとつなんです。
「リラックスしたいなあ」と思ったときに、ちょっと深呼吸をするだけで、けっこうリラックスはできるものです。
——深呼吸もメンタルスキルのひとつなんですね?
立派なメンタルトレーニングです。頭をリラックスさせたいのか、身体をリラックスさせたいのか。そこの違いに気づいてしっかり使い分けできるようになれば、気分転換には、とても有効です。
すぐにできるようになるというわけではありませんが、だいたい3か月から半年くらい続けていると、自分なりの感覚で、何となくできるようになるはずですから、しばらく続けてみるといいと思います。こういった簡単なメンタルスキルは、自分なりに探って見つけていくのがいいでしょう。
私の場合は、何か腹が立つことがあったりすると、クルマで移動している間に気分転換をします。運転している間に怒りを収めようと、歌を歌うようにしています。なかなか怒りが収まらなくても、歌を歌っているうちにその気持ちが薄らいでいきます。
そして、職場に着いたら、「もう、考えるのはやめよう」となって、サッと気持ちを切り替える。そういうふうに、自分で自分をコントロールするためのツールをいくつか持っておくといいですよね。
何か嫌なことがあったとしても、次の場所や次の時間に持ち込まないことにしています。こういったことは、専門書に書いてある基本的なことではありますが、生活のリズムを良くするという意味では、とても重要なことだと思います。
——自分をコントロールするためのツールというのは、自分で見つけていくものなんですか?
何か、メンタルに関する本でいい方法を探すのでもいいですし、自分でいろいろ試してみて、探していくのでも、どちらでもいいと思います。ただ、ひとつ言えることは、人それぞれに合うツールは違うということ。
見つける方法は何でもいいのですが、そのなかから、自分に合ったツールを見つけるようにすることが大事なのです。
それは、その人の生活リズムに合った方法であるだろうし、人によって、生活環境が違いますから、できることとできないことがあるでしょう。
気分転換のためのメンタルスキルの基本は、「ネガティブな感情は取り除く」というシステムを作るということ。それができるのであれば、何でもいいと思います。
——嫌なことを流すツールを、見つけることが大事ですね。
本の中でも「思考停止法」について書いているのですが、これは、前の嫌なことを忘れて、次に備えるためにリセットするメンタルスキルのことです。
ネガティブな感情に気づき、思考停止をするというのは、自分のためにならないことを流したり、断ち切るための大事なメンタルスキルなのです。
なぜ、このスキルが大事なのかと言いますと、人間というのは、なかなか切り替えができない生き物だからです。嫌なことを引きずったままでは、次へと切り替えができない。そうこうしているうちに、結局、同じように悪いことがグルグルと回ってしまう状態に陥ってしまい、生活のリズムも乱れてしまう。
この悪循環を防ぐためには、いったん思考を止めたうえで新しいことを始めること。ですから、みなさんも、嫌なことを次に持ち込まないためのメンタルスキルをぜひ、持つようにしていただきたいと思います。
あるラグビー選手は指を触ることで気持ちを切り替えますし、ある陸上選手は、手の指のツメの色をひとつだけ変えておいて、その色の違うツメを見ることで気持ちを切り替える。また、試合中にイラついたら、必ずゴールポストを見て切り替えるという選手もいます。
このように、自分なりのツールを見つけ出しておいて、普段からそのツールで気持ちを切り替えるように意識してトレーニングをしておく。そうすると、徐々にうまくできるようになってくるはずです。そうなれば、普段の生活リズムもきっと、いい方向に整ってくることでしょう。
取材・文:國尾一樹
写真:宇野真由子