イングランドで2015年に開催されたラグビーW杯の初戦で、強豪・南アフリカを相手に逆転トライを決め、“世紀の番狂わせ”と絶賛されたラグビー日本代表。その陰の立役者として注目を浴びることになったのが、日本代表のメンタルコーチを務めた荒木香織さん。
選手ひとりひとりと話し合いながら、個々のメンタルを鍛えていった経験を元にまとめた『ラグビー日本代表を変えた「心の鍛え方」』(講談社+α新書)の著者でもある荒木さんに、アスリートではない一般の人でも、普段の生活リズムを整えるためのヒントになるメンタルスキルの話をお伺いしてきました。
今回は、「最高のパフォーマンスを発揮するためのメンタルスキル」についてです。
——一般の人でも日々の生活のなかで、最高のパフォーマンスを発揮するためのメンタルスキルとして、オススメのものはありますか?
成功するためのパフォーマンスであるとか、実力を発揮するためのパフォーマンスといった表現をよく見かけますが、それを実行するために重要なことは、まず、自分にその発揮したい実力があるのかどうかということを、自分で理解することです。
試合の勝負どころで120%の力を発揮するといったことは、ほぼないと考えたほうがいいと思います。スポーツ心理学的に言いますと、試合で出るパフォーマンスというのが、“本当の実力”なのです。ということは、勝負どころでうまくいかず、試合が終わった後に「もっとできたハズなのに……」と言うのは、勘違いなのです。
練習や、普段の訓練、普段の仕事のなかで、一度もできたことがないのに、本番の大きな舞台でできるわけがありません。そこの認識が足りない人が、とても多いのではないかと思います。
「これくらいはできるはず」だとか、「これくらいの点数は取れるはず」と思っても、これまでできたことがないものは、やはりできないのです。
試験でも、模擬テストを基準にして、本番の試験でもこれくらい取れるはずだといった予測をする人は多いと思います。しかし、模擬テストの準備をしている時のメンタリティ。また、模擬テストの会場にいる時のメンタリティというのは、“模擬テストだと思っている自分”のメンタリティなのです。
入学試験などの本番となる試験とは、問題も違えば、会場の雰囲気も違う。しかも、“本番だと思っている自分”のメンタリティは、これまでとは、まったく別のものだと心得るようにしたほうがいいのです。
ほとんどの人が、試験で模擬テストと同じような点数を取れるだろうと思うものですが、実際には思うようにいかなかったという人のほうが、多いのではないでしょうか?
そのギャップを埋めるためには、模擬テストの時に、本番のための準備として、自分で自分に「本番なんだよ」と言い聞かせて、本番のシチュエーションを想定してみるといいでしょう。同じような緊張感のなかでシミュレーションしてみるのが、もしかしたら、一番いい準備になるのかもしれません。
試験でいえば、当たり前ですが、本番で間違った問題を何度も解き直すといったことはできません。ですから、「このくらいの問題だったら、必ず何分間で終わらせる」といったように、自分で時間を決めて解いてみるのです。
この問題は「本番の試験なんだ」と思って、ふるえるくらいの緊張感に包まれた自分を意図的に作り出して練習するくらいでないと、本当の準備にはなりません。そういう意味で、一般の人たちには、短時間で準備をするためのルーティンはいらないということになるのです。
ですから、最高のパフォーマンスをするためには、自分の今の実力や現状について理解することが、まず、第一なんです。そこができていなければ、絶対にそれ以上のものは出てきません。
——確かに、まずは“自分を知る”ということは大切ですね。それは、簡単なことのように思えますが、実は難しいことなのかもしれません。
こういう仕事をしていると、よくあることなのですが、どう考えても無理なのに「日本一になりたい」と目標を掲げるチームがあったりします。「このチーム、日本一になったことがあるんですか?」と尋ねてみると、「はい、60年前に一度だけあります」と言われて、とても困ったことも(笑)。
昔からの伝統を重んじるOBやOGからはっぱをかけられるので、無理だとわかっていても「日本一になりたい」と言わなければならない雰囲気が蔓延しているようなんですね。こういうケースは、けっこう日本ではよく見かける光景かもしれません。
ずっと、過去の栄光を引きずっていて、「日本一になるぞ!」と言うのですが、無理なものは無理です。そんなことを言い続けて目標にしていては、得るものはほとんどありません。まずは、目の前の1試合を必ず勝てるように、しっかりと準備をしたほうがいい。それで、最低限の実力を発揮することができれば御の字なのです。
一試合も勝てそうにもないチームが、日本一になるぞと日々、練習に励んで、それでも初戦で負けて「実力を発揮できませんでした!」「日本一になれませんでした!」と、悔しそうにOBやOGに報告をしても、得るものはほとんどないでしょう。
今の実力では、もともと無理なのに、それを理解できていない。結局、そういうことになってしまうチームというのが、なぜか日本ではとても多いんですよね。
これは、スポーツ以外の場面でも、日本人が陥りがちなシチュエーションだと思います。そのわかりやすい例といえるのではないでしょうか。
——まずは、自分たちの実力を知ることで、現実的な目標を持って、それを達成させるためにシミュレーションをして練習を積み重ねていくといったことが大切ということですか?
それが基本だと思います。目標というのは、「できること」あるいは、「ちょっと頑張ったらできるようなこと」でなければいけません。むやみやたらと高い目標を設定してしまうというのは、私は間違いだと思っています。
これは、学術的にも結論づけられている事柄なのですが、むやみやたらに高い目標を設定するのではなく、「現実的な目標を立てて、それを達成するために練習しましょう」というのが、メンタルスキルにおいては、鉄板なのです。
取材・文:國尾一樹
写真:宇野真由子