こんにちは。アレルギーナビゲーターの細川真奈です。
「食物アレルギー」というフレーズ、ここ数年でよく耳にしたり何かで目にしたりするようになってきたのではないでしょうか?
例えば、AmazonのCMでも「小麦アレルギー」の女の子が出てきて、米粉の宣伝をしていたり…もしかしたら、「学校給食時においての誤食」についてのニュースを見たことがある方もいらっしゃるかも知れません。私は職業柄、カフェや飲食店にいても隣のテーブルで「食物アレルギーが…」というフレーズを聞くだけで、ついつい耳がダンボになってしまうのですが…笑
それでは「アナフィラキシーショック」というフレーズを耳にしたことがある方はいらっしゃいますか?発症後、極めて短い時間のうちに全身性にアレルギー症状が出る反応のことを「アナフィラキシー」といい、その状態が悪化し、血圧の低下や意識障害など生死を彷徨う程の危険な状態のことを「アナフィラキシーショック」と呼びます。
アナフィラキシーは食べ物だけで起きる症状ではありません。例えば、毒性をもつ蜂に刺された時や、薬物反応で起きることもあります。一般的にはアナフィラキシーが原因で心停止に至った例の心停止までの平均時間は、薬物で5分、蜂毒が15分、食物では30分といわれます(アナフィラキシーがすべて心停止に至るわけではありません)。
生きるか死ぬかの危険な状態に陥る「アナフィラキシーショック」。わたしは高校生の時に体験しています。それは、部活が一緒の女友達5人でディズニーランドへ行った時のことです。
当時は今のように、お店のメニュー看板に7大アレルゲン表記が記載されていることもなく、スタッフさんにアレルギーのことを伝えて原材料を聞こうとしても、専任のスタッフさんが現場に来てくださるのに1時間以上かかっていた時代です。そして何よりもわたし自身が食物アレルギーであることに対して、人前で言うのは恥ずかしく思っていた時。
朝から1日ディズニーランドで遊んでいた私たちは、お昼になってお腹が空き、パーク内のレストランへ入店しました。まだ、人前で「食物アレルギーがあって◯◯が食べられないのですが、このメニューは食べられますか?もしくはこのお店の中でそれらのアレルゲンを使用していないメニューはありますか?」と聞くことに抵抗を感じていたわたしは、何を血迷ったのか、バターライスを食べたのです。(性格には黄色いご飯=サフランライスだと思っていました。)
お腹が空いていたのでほとんど平らげて、次のアトラクションへ乗ろうと、みんなで並んでいる時に喉に違和感を感じ始めました。何だか気道が狭くなる感覚。
よく「病は気から」と言いますが、まさにその通りでアレルギー症状が出始めた時、わたしはいつも気のせいだと思うようにする癖?があり、その時はひとまずカバンに入っていたクール系のガムを噛むことにしました。
ところが、さすがに部活で四六時中一緒に生活をしていた仲間だけあって、わたし以上にわたしの異変にすぐ気がつき、「真奈、大丈夫?」と声をかけてくれたのを聞いたのを最後に、急にフラつき自分では立てない程になりました。
ここからは一緒にいてくれた友達から聞いた話にはなりますが、5人メンバーのうち2人がわたしを担いで救護室へ連れて行ってくれ(高校時代はチアリーディング部に所属していたのですが、体育会系のチア部に入っていたから担いでもらえたのだと、今となっては良かったと思うことでもあります)、残りの2人が荷物やその他のことをしてくれていたのだそうです。(瞬時に役割分担、手際良く機敏に動けたのもチア部だったおかげ?)
救護室につくなり、症状をみて救急車で病院へ運ばれることに。ですが、救急車に乗っている時のことは一切覚えていません。なぜならその間にわたしの血圧は上が50とかなり低下し、まさに生死を争う状態へと陥ったからです。
病院へついてからの処置で何とか目を覚ますことができ、目の前には家族の姿が。後日、救急車に乗り一緒に病院へついて来てくれた友達たちには「もう一生、救急車に乗りたくないと思ったよ。」と話されました。ちなみにその部活仲間は今でも大親友であり、わたしからしたら命の恩人です。
未だに「食物アレルギー=好き嫌いの延長線上のこと」と思われている方もいらっしゃるようですが、そうではありません。少しでも食物アレルギーに対する理解度が高まるよう、わたしのリアルな体験談であるこの記事が多くの方の目に止まることを願っています。
文:リズムアンバサダー 細川真奈