「幸せホルモン」といわれ、私たちの幸せ度に大きな影響を与えているセロトニン。現代人に、うつ症状が増えているのは、このセロトニン不足が原因とも指摘されています。本日は、セロトニン研究の第一人者である東邦大学医学部名誉教授で、医師の有田秀穂先生に、”セロトニン“について詳しくお話を伺いました。
有田秀穂
東邦大学医学部名誉教授
1948年東京生まれ。東京大学医学部卒業後、東海大学病院で臨床に、筑波大学基礎医学系で脳神経系の基礎研究に従事、その間、米国ニューヨーク州立大学に留学。東邦大学医学部統合生理学で坐禅とセロトニン神経・前頭前野について研究、2013年に退職、名誉教授となる。各界から注目を集める「セロトニン研究」の第一人者。
──「幸せホルモン」といわれるセロトニンとは、どのようなものですか?
セロトニンは、脳で作られ、脳内に分泌される脳内物質の1つです。ですから、正確にはセロトニンはホルモンではなく、脳内物質ということになります。
セロトニンは脳のどこで作られているかというと、脳幹にあるセロトニン神経という数万個の神経細胞が、セロトニンを分泌しています。脳には約140億個もの神経細胞がありますから、セロトニン神経細胞は数としては少ないほうです。でも、セロトニンは脳全体に分泌されているので、体に及ぼす作用が大きい。これは、他の神経細胞にはない働きです。
──ホルモンと脳内物質は、どう違うのですか?
ホルモンは、それぞれの臓器が分泌して、血液中に放出され、体の機能に影響を与える物質のこと。一方、脳内物質というのは脳の中で分泌されるだけで、体内に放出されることはありません。
ただし、セロトニンもホルモンのように、体の機能に影響を与えているので、「幸せホルモン」という呼ばれ方をするようになったのです。
──では、セロトニンが「幸せホルモン」といわれる理由は?
それは、人の心の状態を左右する、次の5つの働きがあるからです。
1つ目は、大脳皮質に作用して、脳を最適な覚醒状態にしてくれること。セロトニン神経は、寝ているときは活動せず、起きると活動が始まります。ですから、セロトニン神経がしっかり働いてセロトニンが分泌されると、一日中、頭がスッキリと冴えた状態でいられるのです。
2つ目は、心の領域に影響を与えて、心のバランスを整えてくれること。つまり、心がいつもポジティブで安定した状態になり、キレる、落ち込む、あるいは集中できない、といったことがなくなります。
3つ目は、自律神経のバランスを整えてくれること。自律神経のバランスが整うと、交感神経と副交感神経の切り替わりがスムーズに行われるようになります。その結果、朝はシャキッと目覚められるようになり、夜も、体が興奮状態であったとしても、きちんと副交感神経が優位になって眠りが訪れるようになります。
4つ目は、姿勢筋の働きを良くしてくれること。姿勢筋は、抗重力筋ともいい、重力に逆らってさまざまな部位を引き上げてくれる筋肉です。眠くなると、まぶたが落ちてきたり、口が弛緩してよだれが垂れたりしますよね。これは、夜になるとセロトニンの分泌が止まり、姿勢筋の働きが落ちるため。でも、セロトニン神経がきちんと活動していれば、起きている間はセロトニンが分泌され、背筋がシャキッと伸びて、目もパッチリ開くなど、見た目が美しくなるのです。
5つ目は、痛みの調節をしてくれること。セロトニンは、自前の鎮痛剤だといわれています。現代人は、不定愁訴という、原因のない痛みに悩まされている人が多くいます。セロトニンは、こういった痛みも抑えてくれるんですよ。
──こう聞くと、セロトニンの分泌が、いかに私たちにとって重要か、分かりますね。でも、現代人は知らず知らずのうちに、セロトニン欠乏脳になっているとか……。
──セロトニンが分泌されなくなると、どうなってしまうのですか?
セロトニンによる5つの働きが弱まりますから、次のような症状が起こります。
まず、セロトニンによる最適な覚醒状態が得られなくなりますから、低体温、低血圧など、一日中シャキッとしない状態が続くようになりますね。
続いて心のバランスも取れなくなり、キレやすくなったり、いつも落ち込みぎみのネガティブな状態になったりします。
さらに、自律神経のバランスが悪くなり、交感神経と副交感神経の切り替わりがうまくいかなくなります。その結果、目覚めが悪くなるだけでなく、寝付きも悪くなって、不眠症に陥ってしまう人も多いんですよ。
また、姿勢筋の働きが弱まって、猫背になったり、トロンとたるんだ顔つきになるなど、見た目にも変化が出てきます。
そして、セロトニンが痛みの調節をしてくれなくなるので、「あそこが痛い」「ここが痛い」というような、原因のない不定愁訴的な痛みに悩まされるようにもなるのです。
──セロトニン不足は、典型的なうつ症状を引き起こすということですね。セロトニンが出なくなる原因は、いったい何なのですか?
セロトニン神経が弱まると、セロトニンはうまく分泌されなくなります。その原因の一つが、ストレス。ストレスに長期間さらされると、誰でもセロトニン神経が弱くなってしまうのです。
──やはり、ストレスは大敵ですね。
ところが、セロトニン不足の一番の原因は、ストレスではないんですよ。
実は、セロトニンの分泌に最も重要なのが、太陽の光を浴びることと、リズム運動なのです。でも、現代人は一日中、部屋の中で体を動かさず、パソコン作業をすることが増えている。知らない間に、セロトニンの出ない時間が長くなっているのです。
──電灯の明るさでは、ダメですか?
電灯の光は、太陽の光に全く及びません。セロトニン分泌には2500~3000ルクス以上の高照度が必要ですが、電灯の光の場合、どんなに照度が高くても500ルクスが精いっぱいですから。
──やはり最大の原因は、パソコン生活でしょうか?
ええ、パソコンにばかり向かって太陽を浴びず、体も動かさない。そんなセロトニンが出ない生活を続けていると、脳自体も、セロトニンの出にくい脳に変わってしまいます。ですから、現代のうつ治療は、セロトニンを増やす薬の処方がメインになっているほどです。
パソコンはとても便利な道具です。でも、よく切れる刃物が使い方を間違うと危険なのと同じく、便利なパソコンも使い方を間違うと、セロトニン欠乏という大きな心のケガを負うのです。
──そう聞くと、恐ろしいですね……。次回は、セロトニン神経を活性化させる方法について教えてください。
取材、文・山本奈緒子