更新日:
「世に身心障がい者(児)はあっても仕事に障害はあり得ない」という信念のもと、障がい者の自立を目的とする「太陽の家」を創設した中村裕医学博士。事業や経営を通じて、社会に貢献する姿勢を社憲にまとめたオムロンの創業者・立石一真。両者が1972年に設立したオムロン太陽では、障がいの有無に関わらず多くの社員がはつらつと働いています。なかには、日々の業務をこなすかたわらスポーツで活躍する社員も。下半身に障がいをもつ城隆志さんと笹原廣喜さんは、それぞれパラ・パワーリフティングと車いすマラソンで、トップクラスの成績を修めています。そんなお二人に、2020年の東京パラリンピックや日々のトレーニングについて伺いました。
――まずは、それぞれの競技を始めるきっかけから教えてください。
城さん 「26歳の時、トレーニング施設にあった障がい者用の広いベンチ台を、たまたま使ってみたのがきっかけです。高校時代はラグビー、大学時代は空手でウエイトトレーニングをしていたこともあり、案外すんなりと上げることができたんです。健常者、障がい者に関わらず、力で勝負できるという点に魅了されてのめり込みました」
笹原さん 「25歳で脊髄を損傷し、人生の目標を失っていた時に、入院先の病院で車いすマラソンのことを知りました。医師から始めてみないかと勧められましたが、トレーニング風景を見学してみると想像以上にハード。実際のレースを見てから決めようと、2000年の大分国際車いすマラソンを観戦しました。すると、ものすごいスピード感と、障がいの重さに関係なく全力で走る選手の姿に感化され、これは挑戦するべきだと決意しました」
――競技のどのような点に魅力を感じていますか?
城さん 「パワーリフティングは一瞬が勝負。バーベルを上げる時間はほんの2秒くらいで、その間に全神経を集中させ、全力を注ぐことに魅力を感じています。また、ベンチ台さえあればでき、専用の車椅子も必要ありません。日々鍛えることで、ある程度年齢を重ねても続けやすいのも利点です。なにより腕力が鍛えられるため、ほかの障がい者スポーツの基礎トレーニングになり、日常の車椅子生活も楽になります。動かない部分の血流がよくなり、内臓の動きも活発に。周りと競争することで、メンタル面も鍛えられます。太陽の家を創設した中村先生が“スポーツは最大のリハビリだ”と仰っていましたが、この競技を通して、まさにその通りであると実感しています」
笹原さん 「車いすマラソンの魅力は、なんといってもスピード感。競技用の特殊な車いすを、自由自在に乗りこなす姿は、はたから見てもすごく格好いいですね。また周りには、一緒にトレーニングする選手やサポートをしてくれる方がたくさんいます。大会では、まるで自分が走っているかのように本気で応援してくれる方も。“決して一人で走っているのではない”と、強く感じさせられる競技です」
――日頃のトレーニング内容について教えてください。
城さん 「8時15分に出社して、定時だと17時15分に退社。その後、太陽の家に設けられたジムで、20時くらいまでウエイトトレーニングをします。筋疲労がひどくならないように、トレーニングは週3回程度。破壊と超回復のサイクルが大切なので、必ず休養をはさんでいます。あとは、体力作りを兼ねてマラソンもしています。筋肉量に影響するため、コーチからは控えるように注意されていますが、はーはー言わないと練習した気になれなくて(笑)」
笹原さん 「出社は8時15分、イレギュラーの業務が発生することがあり、退社は19時30分くらいが平均です。現役の頃から続けているルーティーンで、出社前に必ず15分間、マッサージチェアで体をほぐしています。トレーニングは、大会がある時に3ヶ月前から始め、週に2〜3回行います。主にルームランナーとロードでフォームを調整。以前はひと月に1200kmくらい走っていましたが、市民ランナーになってからは200kmくらいですね。会社の近くに別府湾沿いを走るコースがあるので、そこで他の企業から集まった選手たちと一緒に走ることもあります」
――終業後の夕方以降のトレーニングになってしまいますが、本業との両立はできていますか?
城さん 「時間が限られてしまうので、そのなかでどれだけ自分のパフォーマンスを上げられるかを重視しています。厳しいといえば厳しいですが、競技を始めた頃から終業後にトレーニングをすることが当たり前だったので、今もその延長で続けています」
笹原さん 「マラソンという競技の特性上、どうしてもトレーニングに時間がかかってしまうし、夜は危険なのでロードでは走れません。現役の頃はアスリート雇用だったため、午前中に仕事をして、午後からはトレーニングに集中できていました。今は通常の雇用形態なので、まとまった時間を確保するのは難しいです。だからこそ、トレーニングの質を高めることが大切。ガレージでインターバルという60分間、全力でもがき続ける練習を行うなど、過去の経験をもとに最善のメニューを組み立てています」
机上にあるのはオムロン低周波治療器HV-F601T。アスリートの疲労回復を目的としたこの商品、二人も愛用している。
――大分では、1981年に世界で初めて車いすの国際大会が行われ、現在も盛り上がりをみせています。市民の関心も高く、笹原さんも心強いのではないでしょうか。
笹原さん 「10年以上も応援してくださる方々もいるんですよ。社内でも、遠征した時は『結果どうたった?』といろんな方に声をかけられます。“温かく見守っていただいている”という実感があり、とても励みになっています」
――城さんは、太陽の家にトレーニング施設ができるまで、ずいぶん苦労されていたと伺っています。
城さん 「以前は大分市の総合体育館まで、車で30〜40分かけて通っていました。そうすると家に帰るのは、深夜になってしまうんですよ。しかも、健常者向けのベンチ台しかなかったので、顔見知りの方に補助をお願いする必要がありました。それを考えると、現在の環境はとても快適。かえって練習しすぎて困るくらいですよ(笑)」
【仲間の声】
佐々木和宏さん→城さん
「城さんはとても頼りになる上司で、労働安全業務で工場を回っている時も、細かくアドバイスしてくれます。時には冗談を言って、社内の雰囲気を和ませてくれることも。凄いなと思うのは、仕事をしながら第一線で活躍し続けていることです。自分は仕事で疲れたら休めばいいのですが、城さんはその後にトレーニングをして、翌日も疲れた顔を見せずに笑顔で出社しています。その姿を間近で見ることで、自分も頑張ろうと奮い立たされます」
城隆志さん Profile
1960年1月27日、大分県生まれ
1986年にパラ・パワーリフティングに出会い、これまでに第18回全日本パラ・パワーリフティング選手権(2017年)など多くの大会で優勝。65kg級の日本記録を保持する。
* オムロン太陽では日々業務改善を繰り返しながら、障がい者と健常者が共に働き、地域社会とのきずなをつくっている
>>後編に続く
『健康でなければ、番組でカルチャーがどうのこうのなんて言っていられない!』 宇多丸×宇垣美里 インタビュー Vol.2(後編)
『いくつになっても、心地良く生きていなければ意味がない』 日本語ラップ界のレジェンド、「RHYMESTER」宇多丸さんインタビュー Vol.1(後編)
『スーパーストライカーが「スーパーダディ」の次に目指すモノとは!?』~Jリーグ史上最強ストライカー・大久保嘉人さんインタビュー Vol.4~